死刑制度とは何か――日本と世界の国一覧・割合、賛成と反対の理由を哲学で考える
カント、ヘーゲル、ベッカリーア、ロールズ、デリダから、メリット・デメリットと国際的潮流を読み解く
日本では2026年8月21日にも死刑が執行された。一方、世界では法または実務上の廃止国が多数派である。それでも少数の国では執行数が急増している。殺人者は死刑に値するのか。そして、誤る可能性のある国家に人を処刑する権限を与えてよいのか。この二つを分け、日本と世界の制度を哲学から考える。
2026年8月21日、日本で高見素直死刑囚の刑が執行された。2009年に大阪市のパチンコ店へ放火し、5人を死亡させ、10人を負傷させた事件で死刑が確定していた。日本での執行は2025年6月以来であり、執行後の死刑確定者は100人、そのうち43人が再審を請求していると法務大臣は説明した。AP通信
この事実を前にすると、議論はすぐ二つに割れる。
一方には、「5人の生命を奪った者が、自分の生命を奪われるのは当然ではないか」という直感がある。他方には、「すでに拘束され、社会から隔離された人を、国家が計画的に殺す必要があるのか」という疑問がある。
死刑問題で最初に分けなければならないのは、次の二つの問いである。
- その犯罪者は死刑に値するのか。
- 誤る可能性のある国家に、人を処刑する権限を制度として与えてよいのか。
この二つは同じではない。
「犯人は死んで償うべきだ」と感じながら、国家の制度としては死刑に反対する立場も成り立つ。逆に、死刑を感情的な復讐とは考えず、厳格な裁判による公的正義として支持する立場もある。
死刑を哲学的に考えるとは、凶悪犯罪を軽く扱うことでも、被害者遺族に赦しを求めることでもない。
赦しがたい犯罪を前にして、正義と国家暴力の限界を同時に考えることである。
日本の死刑制度はどうなっているのか
日本の刑法11条は、死刑を刑事施設内で絞首して執行すると定める。死刑確定者には通常、執行当日の朝まで日時が知らされない。執行対象を選ぶ具体的基準も公表されていない。
裁判所が死刑を選ぶ際には、一般に「永山基準」と呼ばれる考慮要素が用いられる。
- 犯行の罪質
- 動機
- 犯行態様、とくに執拗性・残虐性
- 結果の重大性、とくに被害者数
- 遺族の被害感情
- 社会的影響
- 被告人の年齢
- 前科
- 犯行後の情状
最高裁は、これらを総合し、罪刑の均衡と一般予防の見地から極刑がやむを得ない場合に死刑を選択できるとしている。最高裁判決
ここで重要なのは、被害者数だけで機械的に決まるわけではないことである。一人を殺害した事件でも死刑となることがあり、複数人が死亡した事件でも事情によって無期拘禁刑となり得る。死刑は計算式ではなく、裁判官や裁判員による総合判断である。
日本の世論は圧倒的な賛成なのか
2024年10月の政府世論調査では、死刑について「死刑もやむを得ない」が83.1%、「死刑は廃止すべきである」が16.5%だった。政府世論調査
ただし、「やむを得ない」は「積極的に望ましい」と同じではない。回答者が、仮釈放のない終身刑、冤罪の実例、執行の運用、被害者支援の代替策まで十分に比較した結果とも限らない。
世論は民主的正統性を考える重要な資料である。しかし、多数派が支持すれば、どの刑罰も正しくなるわけではない。拷問や身体刑が多数決だけで正当化されないのと同じく、死刑には多数決とは別の人権・正義の審査が必要である。
袴田事件が示した「訂正できる判決」と「訂正できない刑罰」
袴田巖さんは1968年に死刑判決を受け、1980年に確定したが、再審で2024年に無罪となった。法務大臣記者会見によれば、戦後に死刑判決が確定した後、再審で無罪となった5人目である。執行されていれば、後の無罪判決は名誉を回復できても、生命を返すことはできなかった。
拘禁にも、奪われた年月、健康、家族関係という取り返せない損害がある。だから「死刑だけが不可逆で、ほかの刑罰は完全に元へ戻せる」と言うのは正確ではない。
それでも差はある。拘禁なら、生存中に釈放し、無罪を宣言し、補償し、本人が社会へ語る余地が残る。死刑は、国家が誤りを発見する将来そのものを、本人から奪う。
世界の死刑制度――廃止が多数派、執行は少数国へ集中
アムネスティ・インターナショナルの2025年統計によると、2025年末の世界は次のように分かれていた。
| 区分 | 国数 | 例 | 意味 |
|---|---|---|---|
| 全犯罪について廃止 | 113 | EU加盟国、英国、カナダ、オーストラリア、南アフリカなど | 平時・戦時を含め法定刑として死刑を置かない |
| 通常犯罪について廃止 | 9 | ブラジル、チリ、イスラエルなど | 戦時犯罪など非常に限定された犯罪だけ法律上残す |
| 事実上廃止 | 23 | 韓国、ロシア、アルジェリア、モロッコなど | 法律上は残るが、長期間執行していない |
| 存置 | 54 | 日本、米国、中国、インド、シンガポール、イラン、サウジアラビアなど | 通常犯罪について死刑を維持する |
全面廃止は113か国、法律上または実務上の廃止を合わせると145か国である。アムネスティの分類する199か国の約73%が廃止側にあり、存置国は約27%となる。
しかし、廃止国が増えていることと、執行数が減っていることは同じではない。
2025年に確認された執行は、17か国で少なくとも2,707人だった。これは2024年の1,518人から78%増え、同団体が1981年以降に記録した中で最多である。しかも、この数字には国家機密とされる中国の数千件規模とみられる執行や、正確な情報を得られない北朝鮮・ベトナムなどの全容が含まれない。
確認された2,707件のうち、イランだけで少なくとも2,159件、サウジアラビアで少なくとも356件だった。米国は47件、日本は1件である。世界は一様に廃止へ進んでいるのではなく、大多数が制度から離れる一方、少数国で執行が集中し、一部では急増するという二重の動きを示している。
2024年12月、国連総会は死刑廃止を視野に入れた執行停止を求める決議を、賛成130、反対32、棄権22で採択した。国連総会決議の投票記録
この決議に法的拘束力はない。それでも、国家による処刑を国内だけの刑事政策ではなく、国際人権の問題として考える国が増えていることを示す。
賛成論――死刑が必要だと考える最も強い理由
死刑への賛成を「残酷な復讐心」とだけ説明すると、議論の核心を逃す。最も強い存置論は、被害者の生命の価値と犯罪者の責任を正面から捉える。
1 重大な殺人には、それに比例する最大の刑罰が必要である
ある人が意図的に他者の生命を奪ったとき、国家がその行為を最も重く非難しなければ、被害者の生命を軽く扱うことになるという考えである。
軽い犯罪と大量殺人を同じ刑罰で扱えば、犯罪の重大さの違いが消える。死刑は、社会が「この行為は決して許されない」と表明する最大の非難だとされる。
2 犯罪者を責任ある主体として扱う
犯罪者を病気、環境、衝動の産物としてのみ説明すれば、本人を危険な物体のように管理することになる。自由な意思で行ったと認めるなら、その選択に相応の責任を負わせることが、人格の尊重だという主張である。
3 再犯を完全に防ぐ
死刑が執行されれば、本人による再犯、逃亡、収容中の殺人は不可能になる。ただし、厳格な収容でも多くの危険は防げるため、死刑に固有の必要性は別途証明しなければならない。
4 制度への信頼と遺族の正義感を支える
極端に重大な犯罪に十分な刑罰が科されないと、市民は法が被害者を守らないと感じ、私的復讐や司法不信が強まるという懸念がある。
遺族が死刑を望む感情を、外部の人間が単なる「復讐」として見下すべきではない。奪われた人が戻らないからこそ、国家に最大限の責任追及を求めることには道徳的な重みがある。
カント――社会が解散しても、最後の殺人者を処刑せよ
死刑存置論を最も徹底した哲学者がイマヌエル・カントである。
カントは、刑罰を将来の利益のための道具にしてはならないと考えた。
もし「ほかの市民を怖がらせるため」に犯罪者を処刑するなら、犯罪者を社会の安全のための単なる手段にすることになる。処罰できるのは、本人が犯罪を行い、その罰に値するからでなければならない。
殺人について、カントは死刑以外に正義を満たす代替はないとした。苦痛の多い終身拘禁と死は、同じ種類のものではなく、生命を奪う行為には生命の喪失だけが対応するというのである。
この考えを明確にするのが、有名な「島の社会」の思考実験である。
島の住民全員が合意して国家を解散し、世界各地へ散るとする。刑務所には最後の殺人者が一人残っている。翌日には共同体が消えるため、再犯防止、犯罪抑止、矯正、社会復帰という実用的な目的はすべて失われる。
それでもカントは、社会の解散前に殺人者を処刑しなければならないと述べる。
これは「死刑が役に立つ」という議論ではない。反対に、誰も守らず、何の利益も生まない場合でも、正義それ自体が死刑を要求するかを示す極端な応報論である。
カントの強みは、刑罰を世論操作や犯罪者利用から切り離し、本人の責任に結びつけた点にある。
しかし弱点も明確である。
- なぜ比例性が「最大限の非難」ではなく「同じ害の返却」を必要とするのか
- 暴行犯を殴らず、拷問犯を拷問しないのに、殺人だけ同害を返すのか
- 誤判の可能性がある現実の裁判で、純粋な応報を実現できるのか
- 被害者の生命を尊ぶために、別の生命を等価物として差し出してよいのか
応報主義は死刑を擁護できる。しかし、応報主義から死刑が自動的に導かれるわけではない。
ヘーゲル――罰することが犯罪者への尊重になるのか
ヘーゲルも、刑罰を単なる社会防衛として扱うことに反対した。
犯罪者は法を否定する行為を選んだ理性的主体である。処罰は、その行為を本人の選択として受け止め、否定された法を回復する。危険な動物を檻に入れるのではなく、理由を理解し責任を負える人として扱うという考えである。
このため、「犯罪者を罰することは、犯罪者の権利でもある」と表現される。
ただし、ヘーゲルがそのまま「死刑廃止は死刑囚への侮辱だ」と述べたわけではない。処罰を人格の承認とする議論と、殺人には死刑が対応するという議論を結びつけた後世の要約である。しかもヘーゲルは、死刑の適用が減少したことを文明化として評価し、適用を例外化する方向も認めていた。
ここから得られる重要な区別は、責任を厳しく問うことと、処刑することは同じではないという点である。
反対論――死刑を廃止・停止すべき最も強い理由
1 冤罪を訂正できない
裁判官、裁判員、検察官、警察官、鑑定人は人間であり、証拠は失われ、証言は誤り、捜査機関が不正を行うこともある。
「疑わしきは被告人の利益に」という基準は誤判を減らすが、ゼロにはできない。死刑だけは、制度が自らの誤りを発見したとき、救済すべき本人をすでに消している。
2 長期・無期拘禁で社会を守れるなら、殺す必要性がない
刑罰の目的が社会防衛なら、比較すべきは死刑と無罪放免ではない。
死刑と、厳格な長期・無期拘禁のどちらが必要かである。
日本の無期拘禁刑には法律上、仮釈放の可能性がある。そのため、死刑廃止と同時に仮釈放制度をどう設計するか、危険性を誰がどの基準で審査するかは重要な課題である。しかし、代替制度が必要なことは、直ちに処刑が必要だという結論にはならない。
3 死刑に固有の抑止効果は確認できていない
死刑があると、殺人を思いとどまる人がいる可能性は否定できない。しかし政策上必要なのは、死刑が長期・無期拘禁より追加的に犯罪を減らすという証拠である。
米国科学アカデミーの研究評議会は、既存研究から死刑が殺人を減らす、増やす、影響しないのいずれかを判断することはできず、政策判断の根拠に使うべきでないと結論した。
これは「抑止効果が絶対にない」と証明したのではない。死刑の不可逆性を正当化するだけの固有効果が、信頼できる形で示されていないということである。
4 国家に「例外的に殺せる者」を選ばせる
死刑制度は、殺人者を処罰するだけでなく、誰を生かし、誰を殺すかを国家が分類する制度である。
同じほど重大な事件でも、証拠、弁護人の力量、地域、検察の方針、裁判員の構成、被害者数の偶然によって結論が変わり得る。世界を見ると、貧困層、少数派、外国人、政治的反対者、薬物犯罪者に死刑が偏る国もある。
完全に公平な運用ができないなら、問題は「死刑に値する人がいるか」だけではなく、「国家がその人を誤りなく選べるか」になる。
5 処刑は被害者を回復しない
加害者の死によって被害者が戻ることはない。処刑が区切りになる遺族もいれば、苦痛が消えない遺族、死刑を望まない遺族もいる。
死刑を「遺族のため」と説明しすぎると、国家の処刑責任を遺族に背負わせる。遺族の声は十分に聞かれるべきだが、生死を決める公的責任まで委ねてはならない。
ベッカリーアとベンサム――役に立たない苦痛を国家に許すな
18世紀のチェーザレ・ベッカリーアは『犯罪と刑罰』で、死刑に原則として反対した。
社会契約によって国家を作るとき、人びとは安全のために自由の一部を差し出す。しかし、自分を殺す権利まで国家へ譲ったとは考えにくい。また、一瞬の公開処刑より、確実で継続的な自由剝奪の方が犯罪抑止に有効だと考えた。
ベンサムの功利主義では、刑罰そのものも苦痛であり、一種の害である。より大きな害を防ぐために必要なときだけ正当化され、同じ目的をより小さい害で達成できるなら、重い刑罰を選んではならない。
ここから、死刑をめぐる計算は次のようになる。
| 比較する利益・害 | 死刑 | 長期・無期拘禁 |
|---|---|---|
| 社会からの隔離 | 完全 | 厳格な運用なら高い |
| 再犯防止 | 本人による再犯は不可能 | 収容中・釈放後の危険管理が必要 |
| 一般抑止 | 固有効果は確認困難 | 刑罰の確実性による抑止が期待される |
| 誤判の救済 | 執行後は不可能 | 生存中の釈放・再審・補償が可能 |
| 責任の継続 | 本人を消滅させる | 生きて責任と向き合う時間が残る |
| 国家権力 | 生命を不可逆的に剝奪 | 自由を長期に剝奪する強大な権力 |
ただし、ベッカリーアの代替案も無条件に人道的ではない。「一瞬で死ぬより長く苦しませる方が抑止になる」という理由なら、廃止論も苦痛の効率化にすぎなくなる。
死刑を廃止すれば刑罰が自動的に優しくなるわけではない。終身に近い隔離、独房、希望のない拘禁も、人間を破壊し得る。問うべきは、処刑か収容かだけでなく、国家がどのような責任の負わせ方を選ぶのかである。
ロールズ――「自分の家族が殺されても同じことを言えるか」
死刑廃止論者には、しばしば次の反論が向けられる。
自分の家族が殺されても、死刑に反対できるのか。
これは、抽象的な人権論が遺族の現実の苦痛を忘れていないかを問う。その意味で重要である。
しかし、国家制度を公正に選ぶ問いとしては一方向である。自分を被害者遺族という特定の立場に置くからだ。
ロールズの「無知のヴェール」を死刑へ応用するなら、自分が次のどれになるか分からない状態で制度を選ばなければならない。
- 殺害された被害者
- 被害者遺族
- 将来の犯罪被害者
- 重大犯罪の加害者
- 加害者の家族
- 冤罪で死刑判決を受ける人
- 誤って処刑される人の家族
- 執行命令を出す法務大臣や執行に携わる刑務官
したがって、問うべきは一つではない。
自分の家族が殺されても廃止を支持できるか。
と同時に、
自分や家族が冤罪で処刑される可能性があっても存置を支持できるか。
も問わなければならない。
ロールズ自身がこの思考実験から死刑について一つの答えを直接示したわけではない。しかし、感情を否定せず、どの立場にもなる可能性を含めて公正な制度を選ぶ方法を与える。
デリダ――生命が交換不能なら「生命には生命を」も成り立たない
ジャック・デリダは、カントを単に残酷な死刑支持者として退けなかった。むしろ、死刑存置論を最も一貫して組み立てた哲学者として受け止め、その論理を内側から問い直した。
カントの考えは、次のように要約できる。
人間の生命は、金銭や長い拘禁と交換できない。だから生命を奪った殺人には、加害者の生命しか対応しない。
デリダは逆に問う。
生命が本当に交換不能なら、被害者の生命と加害者の生命を等しい単位として交換することもできないのではないか。
被害者の死に加害者の死を足しても、最初の死は取り消されない。二つの喪失を「釣り合った」と宣言すること自体が、生命を計算可能なものにしてしまう。
さらに、通常の刑罰には、刑期を終えた本人が残る。しかし死刑は、責任を支払う主体そのものを消す。
死刑は「自然に死ぬまで拘禁すること」とも違う。国家が執行日を決め、予告を管理し、身体を拘束し、死の瞬間を組織する。デリダにとって、死刑は主権国家が時間まで支配する、最も純粋な権力の表現である。
『法の力』――合法であることは、正義であることと同じではない
デリダは1989年の講演『法の力』で、法は脱構築可能だが、正義は脱構築不可能だと論じた。
難しく聞こえるが、要点は次の通りである。
- 法律は人間が作った一般規則なので、誤りを発見すれば変更できる。
- 正義は、現在の法律がこの一人に本当に正しいかを問い続ける要求である。
- 裁判官は法に従う必要があるが、機械的に当てはめるだけでは個別の人を正しく扱えない。
- 情報が完全になるまで無限に待てないため、不確実な状況で決断しなければならない。
つまり、適法な判決であっても、後に不正義だったと分かる可能性がある。
通常の刑罰なら、法は自らを修正する時間をある程度残す。死刑は、法が正義へ近づくための再検討を、執行によって打ち切る。
デリダの批判は「殺人者を罰するな」ではない。
計算できない喪失にもう一つの喪失を加え、それを完全な等価と呼べるのか。誤り得る法が、将来の正義による訂正を自ら不可能にしてよいのか。
という問いである。
被害者中心の正義は、死刑だけを意味しない
死刑廃止論が被害者を忘れれば、説得力を失う。
被害者遺族には、真相を知る権利、手続に参加する権利、尊重される権利、生活・医療・心理・経済面の長期支援が必要である。裁判が終わっても被害は終わらない。
修復的正義は、遺族に加害者を赦すよう迫る思想ではない。対面や和解を強制するものでもない。
中心に置くのは、
- 何が奪われたのか
- 誰が責任を負うのか
- 被害者と家族に何が必要か
- 加害者が生きて引き受けられる責任は何か
- 社会が同じ被害を防ぐために何を変えるか
である。
加害者を生かすことは、直ちに赦すことではない。自由を厳しく制限し、罪を公的に認定し、可能な限り真相解明と償いを求め続けることもできる。
また、死刑を存置しても、遺族支援が自動的に充実するわけではない。被害者支援は、死刑の存廃とは独立した国家の義務である。
三つの制度選択――存置、執行停止、廃止
日本が選べる道は、単純な二択ではない。
1 現行制度を存置する
応報、被害者の生命価値、社会の強い非難、世論を重視する選択である。その場合でも、証拠開示、取調べの全面可視化、再審手続、弁護体制、執行対象の選定、事前告知と情報公開を改善しなければならない。
2 執行を一時停止する
法律上の死刑を直ちに廃止せず、執行を止めて、冤罪、代替刑、遺族支援、死刑確定者の処遇を検討する。誤った執行を避けながら社会的議論の時間を確保できる。
3 死刑を廃止し、代替刑を整備する
国家による不可逆的な生命剝奪をやめ、無期拘禁刑と仮釈放審査を再設計する。重大犯罪への最大限の非難と長期の社会防衛を維持しながら、誤判後の訂正可能性を残す選択である。
ただし、仮釈放なしの終身刑を導入すればすべて解決するわけではない。希望を完全に断つ拘禁が人間の尊厳に反しないか、老齢・病気、改悛、危険性の変化をどう扱うかという新しい問題が生じる。
制度を変えるとは、死刑という一つの刑罰を消すことではなく、社会防衛、責任、被害者支援、再審、収容の全体を組み直すことである。
結論――「死刑に値するか」と「国家に殺させるか」を分ける
死刑賛成論の最も強い部分は、被害者の生命を軽く扱わず、犯罪者を責任ある主体として扱おうとする点にある。カントの応報論は、その要求を妥協なく示す。
死刑反対論の最も強い部分は、犯罪者への同情ではない。国家は誤り、死刑は訂正できず、長期拘禁でも社会を守り得るという制度上の非対称性にある。ロールズは立場の公平を問い、デリダは生命を等価交換する論理と、法が将来の訂正を閉ざす権力を問う。
理念の上では、応報主義から死刑を擁護することはできる。
それでも、現実の人間が運営する制度としては、少なくとも執行停止を置き、廃止と代替刑を具体的に検討する方が正当化しやすい。
その理由は、凶悪犯罪を赦すべきだからではない。
- 社会の隔離と安全は、厳格な長期・無期拘禁でも確保し得る。
- 最大限の非難は、必ずしも処刑だけで表現されるわけではない。
- 司法判断の誤りをゼロにはできない。
- 死刑だけは、誤りを発見した後の本人への訂正を完全に奪う。
からである。
死刑を廃止することは、「何をしても生命さえ守られる」という免責ではない。国家が重大犯罪へ厳しく責任を問いながら、同時に自らの力にも越えてはならない限界を設けることである。
よくある質問
世界では死刑廃止国と存置国のどちらが多いですか
2025年末時点で、113か国が全犯罪について廃止し、事実上の廃止まで含めると145か国が廃止側でした。存置国は54か国です。ただし、確認された執行数は2025年に急増し、少数国へ集中しています。
日本の死刑はどのように執行されますか
刑法11条により、刑事施設内での絞首です。死刑確定者には通常、執行当日の朝に知らされます。日本では2026年8月21日に執行があり、その後の死刑確定者は100人です。
死刑には犯罪抑止効果がありますか
可能性を完全に否定することはできませんが、長期・無期拘禁と比べて死刑が殺人を追加的に減らすと信頼できる形で確認されてはいません。主要な研究評価も、既存研究から増減いずれの結論も出せないとしています。
「自分の家族が殺されても反対できるか」は有効な反論ですか
遺族の苦痛を忘れないためには重要です。しかし、公平な制度選択には、自分や家族が冤罪で処刑される側になる可能性も同時に含める必要があります。個人の感情と、全員に適用する国家制度は区別できます。
カントはなぜ社会解散前の処刑を求めたのですか
刑罰を犯罪抑止や社会防衛の手段ではなく、過去の犯罪に対する正義の義務と考えたからです。社会が消えて実用的利益がなくなっても、殺人によって生じた不正義は消えないという純粋応報主義を示す思考実験です。
NOW IN QUESTION
もし、確実に犯人である人が、あなたの最も大切な人を意図的に殺したとしたら、その人が死刑に値すると感じるかもしれない。
では、その感情から一歩だけ離れよう。
自分が遺族になるかもしれない。冤罪で処刑される人になるかもしれない。判決を下す裁判員になるかもしれない。執行ボタンの前に立つ刑務官になるかもしれない。
どの立場になるか分からない社会で、それでも国家に、誤りを訂正できなくする最後の権限を渡すだろうか。
それとも、その権限を渡さないことは、奪われた生命の重さを十分に認めないことになるのだろうか。
参考資料
- e-Gov法令検索「刑法」
- 最高裁判所・死刑選択の考慮要素を示す判決
- 内閣府「基本的法制度に関する世論調査」調査票
- 法務省「袴田巖元死刑囚の無罪確定」に関する法務大臣記者会見
- AP通信「Japan executes a man convicted of setting fire that killed 5」
- Amnesty International, Death penalty in 2025: Facts and figures
- United Nations General Assembly, Moratorium on the use of the death penalty, A/RES/79/178
- National Research Council, Deterrence and the Death Penalty
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, Legal Punishment
- Immanuel Kant, The Metaphysics of Morals, Part I: The Doctrine of Right
- G. W. F. Hegel, Elements of the Philosophy of Right, §§99–101
- Cesare Beccaria, On Crimes and Punishments, Chapter 28
- Jacques Derrida, The Death Penalty, Volume I; “Force of Law: The Mystical Foundation of Authority”